徒然に想う〜ゆく河の流れは絶えずして〜旅するDNA

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バス
伊藤浩

☆来たる11月7日に「柴田南雄~生誕100年・没後20年~山田和樹が次の時代にのこしたい日本の音楽」が、サントリーホールにて開催される。メインの曲は交響曲《ゆく河の流れは絶えずして》

☆「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」 言わずと知れた『方丈記』の一節。林光先生は、あるプログラムノートで創団以来の東混の姿に、その言葉を重ね合わせてくださったのを思い出した。

☆そこには、東混が自分から作品を“むしりとって”くれたとも書かれている。ヒカル先生ならではの表現。その草花たちは「ゆく河」のほとりに今も咲いている。

☆草花と言えば、先日、日本アルバン・ベルク協会の例会「巨人・柴田南雄を考える」 に潜り込んだ時のこと。諸先生方の洞察に思わず唸ってしまう。キーワードは「音楽の骸骨」「メタ・ミュージック」「柴田氏のレコード体験」などなど。

☆とりわけ印象的だったのが、「民謡は(自然発生的に)道端に咲いている草花のようなものだ。それを生け花のように第二の自然として構成した」 と評された作品のエピソード。柴田先生は東大植物学科のご出身であることと通底する指摘も興味深かった。

☆『岩城音楽教室(光文社)』によると、方丈記や平家物語をヨーロッパに持ち歩き、耽読されたこともあるマエストロ。「ぼくにとって、これは危険思想である」西洋音楽には弱肉強食の思想があり、無常観ではサヴァイヴ出来ないというわけだ。草花を食む私たちの美意識は何処からやって来る?

☆このところ、東混は柴田先生の《萬歳流し》も再演を重ねている。私の故郷、秋田県横手市に取材した作品。そのためだろうか、幼い頃に聞いた神主さんの祝詞の声、その装束の衣摺れる音、雪舞う空などの記憶が、再演の度に蘇る。私にとっては“時空超え”を体感するシアターピースならぬトリップピース。

☆例えば、ある主題が回帰する。「前に聴いたなぁ」と思う。耳の記憶…いわば“懐かしさ”が音楽形式の要だそう。いみじくもマエストロ・ヤマカズさんがおっしゃった「柴田南雄〜知の巨人からの宿題」それは、私たちの音楽的なDNA解析と言う大河に流れ込むのかもしれない

☆いやはや、とてつもない作品だ!是非とも若い方々に(もちろん、元美少年美少女の方々も♡)聴いていただきたいと願う次第。百聞は一見に如かず。繰り広げられる柴田ワールドに乞うご期待!

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