田中信昭との思い出 その② 指揮者 山田茂

思い出

昨年9月12日に、東京混声合唱団の桂冠指揮者であった田中信昭が永眠いたしました。

東混の創設者として、70年近く日本の合唱を支えてきた田中先生。
9月7日には、田中信昭を偲ぶコンサートとして、東混オールスターズ’25の開催が予定されております。

今回は氏の一周忌を間際にして、団員やゆかりの深かったOBにお話を伺い、氏との思い出や人物像を振り返ります。

第2回は、元コンサートマスター・現東混指揮者の山田茂さんです。

ー東混入団のきっかけは田中先生だったんですか?
そう。4年の合唱の授業だったね。
昼間に、芸大の庭でお話するんだよ、みんなで。雑談するんだよ。
その時に誘われたの。東混に。

僕はその時、東混って団体を知らなかった。
当時は高校の先輩で日唱で歌っておられる方がいたり、日唱のピアニストにソルフェージュを教わったりしてたんだよね。
だから、放っておけばそっちに行く感じだったんだけど、
(田中先生に)「今、バリトンが欲しいから来ない?」って言われて。
それが運のツキだった(笑)

©️中村紋子

ー当時から田中先生は芸大で教えてらっしゃったんですね。
講師で来てたんだよね。3,4年のときに合唱を教えてもらったの。
その前はイタリア人の、オペラが得意な指揮者だった。
確か、僕の入る前の年までは小林道夫さんが教えてたのかな。

ーそれじゃ、山田さんは卒業してすぐ入団なんですね。
そう。ただカンタータやってたから、ちょっと入団を遅らせてもらったの。

ー「カンタータやってた」と言うのは…
バハカンね。

(※バハカン…バッハカンタータクラブの略。東京芸術大学内でバッハのカンタータを専門的に学ぶためのサークルとして、1970年に結成された。)

指揮をする「ヤマシゲさん」こと山田茂 ©中村紋子


ーヤマシゲさんはバハカン創立メンバーなんですね!知りませんでした。
今もずっと続いているサークルですよね。
そうなんだよね。それで、入団する年の4月ごろに札幌で演奏旅行を予定してたんだよ。
それが終わってからって条件で、5月ごろに東混に入団してね。ちょっと遅れたの。
そしたらなんでもかんでもやらされて。

ー(笑)カンタータから東混だとけっこう違いますよね。
それもそうだけど、
当時はまだソロの仕事があったんだよね。ソロとかデュエットとか。
パパパとか猫の二重唱とかよく歌わされてね。

ーだいたいどの演奏会でもソロステージがあったんですか?
そう。スクールコンサートでもやってた。
ーへー!知りませんでした。

それでその頃、じいちゃん(田中先生)は(東京)室内歌劇場をやってて。
僕はその下棒をやってた。
だから、昼は東混で歌って、夜は室内で指揮振ったりしてた。
忙しかったけどおもしろかったね。
現場に行ったらさ、芸大の先生なんかがいっぱいいるわけよ。
その先生にさ、「あなた、歌うより指揮する方がいいわね」なんて言われて。(笑)

ー(笑)先生方は歌には厳しいけど、指揮できる人は貴重ですもんね。
いやあ、面白かったよ。
そこでも、じいちゃんはグレゴリオ聖歌なんかを教えてたね。
その当時は声楽の教授といっても、グレゴリオ聖歌のこととか古楽には詳しくない人もいたんだよね。
だから先生が歌い方をレクチャーして、「なるほど」って言われたりしていたね。

指揮台に立つ田中信昭 ©中村紋子

ー東混としても、全国各地で先生と演奏していたんですか?
そりゃもちろん。全国いろんなところに行ってね。
そのころはまだ、じいちゃんの指揮で学校公演もやってたし。

ー学校公演もですか!そういえば、「追分節考」は初演から10年で200回近く振ったって文章を読みましたけど、全国の学校でも演奏していたんですね。
そうそう。「追分」は、本当にいろんなところで演ったね。


田中先生といえばね、先生は、タクシーを選ぶんだよね。

クラウンタイプのタクシーじゃないと乗らないのよ。
水にはこだわるし、ヴォルヴィックしか飲まなくて。
着るものはぜんぶシルク。
つまりは一流好きだった。

自分に関わるものは全て一流のものを選ぶ。
それは(東混にとって)良かったよね。一流の人を呼べるってのは。
楽器の人を呼ぶ時も、ほとんどN響の人を呼んでね。

ーそういうこだわりが東混を作ったんですね。
そういう意味では良かったね。
まあ、気分が乗らない時は赤とんぼ1番だけで終わらせちゃったこともあったけど(笑)
自分の気にいったものじゃないとダメなんだよね。

でも、あらゆることに熱心だった。

50代当時の田中信昭(’86年、毎日芸術賞受賞記念パーティーにて)

だからグレゴリオ聖歌も勉強したし、オペラももちろん、室内歌劇場もやったしね。
それに、いろんな作曲家の話を見るとわかるけど、全部彼が自分で、図書館に行って資料を持ってくる。
それで作曲家には何年も前から頼んでおいて、「そろそろいかがですか」って催促するのよ。

ーそこまで積極的だったんですね。
そういう委嘱活動だったね。
それで作曲家に「誰がいいか」って話を聞いて、次の世代の作曲家のね、ちゃんと情報を得て。
そういうのは素晴らしかった。
それはちょっと今の人にはなかなかないよね。
かろうじてヤマカズ(山田和樹)ができるぐらいで。

ーつぎに人をつなげる、みたいなことですね。
そう。
だからヤマカズは必ず作曲家を呼ぶでしょ。あれはいいことだと思うよ。

“ヤマカズ”こと山田和樹と、”ヤマシゲ”こと山田茂。田中信昭指揮「赤とんぼ」リハーサルにて。©中村紋子

水にまでこだわっていた田中先生ですが、食べるものは割となんでも気にしない方だったそうです。
稽古場にはこっそりリッツのクラッカーを持ってきていて、奥さんにも伝えなかったそうですが、現場の団員たちにはバレバレだったのだとか。

山田さんに、入団時の思い出から音楽へのこだわりまで、貴重な話をたくさん聞かせていただきました。
合唱や音楽に対しての田中先生の向き合い方を今後の東混に繋げていけるよう、団員としても向き合って行きたいと思っています。


来たる9月7日には東混オールスターズが開催予定です。
例年通りであれば今年も田中先生とご一緒するはずだったコンサート。

氏の一周忌にあわせ、その足跡や思い出を偲ぶ特別演奏会として、
6名の指揮者が選んだ曲を演奏いたします。

どうぞ足をお運びいただけますと幸いです。

2025年8月ブログ係

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