田中信昭との思い出 その① コンサートマスター 松崎ささら

思い出

昨年9月12日に、東京混声合唱団の桂冠指揮者であった田中信昭が永眠いたしました。

今回は氏の一周忌を間際にして、東混メンバーやゆかりの深かったOBにインタビューを行い、氏との思い出や人物像を振り返ります。

初回は、現コンサートマスターの松崎ささらさんです。
リハーサルの合間にインタビューを行ったところ、テノールの志村さんも参加してくださいました。

黒:松崎 / 青:平野(ブログ係)/ 緑:志村

ー田中先生はどんな方だったんですか?

1番最初に私が入った時は、まだまだ現役バリバリというか健康で、鋭い目で。
それこそ、『あなた、あなた、あなた』攻撃をたくさん受けながら。

ー1人づつ順番に指名して歌わせる練習ですよね。
音程が揃うまでね。揃わなかった人はもう一回やるから(笑)

ー(同じ人で)繰り返すんですか?それとも戻って?
もうずっと「あなた、あなた、あなた」。

ーしつこく攻撃されるんですね。
すごかったね、そういう意味ではね。

ーささらさんも喰らったんですか?
私はスルーされてたほうかも…でも周りの人たちがよくくらってたけども。

’23年オールスターGPより、「私を見ないで!」と客席を指差す田中先生。©中村紋子

志村:(ささらさんは)岡部さんの娘だから。
いや、関係ないと思うけど。(笑)

ー岡部さんといえばささらさんのお父様で、東混のコンサートマスターも務めた方ですよね。岡部さんと田中先生はどのような関係だったんですか?
(田中先生が)父のこと大好きだったみたい。でも父の方からはそうでもないって言う。
志村:そうでもないどころか、結構戦ってたよ。(笑)
(笑)そうそう。でも別に、練習が終わったら仲良く話してたみたいよ。

志村:性根が嫌いっていう感じではなくて、音楽的にぶつかる部分があって。
(田中先生は)「楽譜通り」ってタイプの人じゃないから。
でもパパ(岡部さん)のことは学生時代から知ってくれてたみたいで、そこから東混に誘ってくれて。
あといたずら仕掛けたりもしてたみたい、パパは。

ー岡部さんの方から?
そうパパから。『Dry Bones』って黒人霊歌があるんだけど、それの時にうしろにガイコツのシールを貼って、背中に。
それで田中先生の指揮が始まったらクネクネ踊る、みたいな(笑)
んで先生大爆笑。
それだけ仲がよかったみたい。

父・岡部申之と娘・松崎ささら。親子2代で東混コンサートマスターを務める。

ーなんだか楽しそうですね。
パパとの関係もすごく長くて。
それこそパパが歌ってないところでも「岡部さんの歌ってるとこだからみんなちゃんと聴いて!!」って言って、
パパが「ぼく歌ってませんよ?」みたいな。そのぐらい信頼されてた(笑)
パパが退団するときにはお花を持ってきてくださって、舞台上で泣いちゃって。

ーお父様がですか?
ううん、先生のほうが。

ーへー!!
うん、そのぐらい愛してくださってたというか。パパとの関係はすごく暖かいものだったんですよ。
私はまだその頃、そんな舞台を客席から見ていたほうだった。

そこから東混に入ったときは、(先生は)すごく厳しいというか、音に対してね。
厳しいし、闘ってる人だったからね。

ー「闘ってる」。
音と闘ってるってイメージだね、うん。
やっぱ倍音作るにしても、「聞こえるまで」っていう感じ。
「理想の音が彼の中に鳴っているからそれに妥協しない」っていう姿勢があったよね。
私たちもいろいろなことを試されて(笑)。

ー今だと、仕事の現場で時間をかけて厳しい指導が受けられる機会って、なかなか少なくなってますよね。
それがあったからこそ、みんなのプライドというか、尊厳もありつつ。(笑)
「こういう風に歌いたいです」ってのが生まれるよね。
だから私は、わざとなんじゃないかって思う時があった。
そういう、イライラさせてじゃないけど。

ーなるほど。
何度も何度も歌わせることで、「自分の音楽はこうだよ」っていうものを炙り出すじゃないけど、そういう時間の気もするし。
もちろん体に同じことを繰り返し入れることで音楽を作っていくっていうのもあるけど、両方あったような気がしてる。

ー自分自身の「できてる、歌えてる」を疑わせるような意図もあったんですかね。
そうそう、そういうように見える時があった。
だから心理的なこともあるかもしれないけど、そういう目線もあるような気がしたね。

’21年の東混オールスターにて©中村紋子

ーふーむ。
来ただけで(場の空気が)締まるじゃん。
ーそれはそうでしたね。(笑)

ーささらさんが入団された頃は、どのくらいの頻度で共演してたんですか?
定期演奏会が必ず、田中先生のが1回はあったので。
(年に)2回ぐらいは会ってたかな?定期と、ほかの公演で1回。
ちなみに、私が公演デビューしたのは宮城県の登米市で、田中先生の指揮なんですよ。千葉さん(テノール団員)の出身地ね。

そこで、田中先生の指揮で追分をやったの。
その時いちばん初めにお会いして、初めて追分をやらせてもらって。
田中先生のパフォーマンスがやっぱり素晴らしくって。

ー「追分の田中先生」?
「追分の田中先生」ですよ!うちわをさす方ね。

ーそれにパフォーマンスって感覚があった、と。
そう。
志村:「(『い』を挿そうとして…やっぱり挿さない!)」みたいなね。
そうそう!面白かったねだから。

ー当時の映像なんて残ってないんですかね?
無いかもねぇ。

「追分節考」指揮者として、うちわで演奏者に指示を出す田中先生。

だから、指揮者としてもやっぱり一つ魅力的なのはパフォーマンスだったよね。
指揮台に上がる時もかっこいいじゃない。あそこから始まって。
追分の一番最後に「おいわけまごうた」のうちわを並べて立てるのも、田中先生だからね。今はヤマカズ(山田和樹音楽監督)もやるけど、あれは田中先生。
あとあれだよね、楽譜を指す。「この作品がリスペクトです!!」みたいな。
あのパフォーマンスもすごい。

ーカーテンコールの時の。
うん。いいよね(笑)
印象的なのは、やっぱりそういう(舞台上での)パフォーマンスかなぁ。
もちろん、一緒につくってる時の厳しさもあったけど。

ー凄いですよね。歌う側とは厳しく向きあって、本番では絶対にそれを見せないで…
…楽しむ。楽しんでたよね、自分もね。

ー東混の理念の中にも、「楽しい雰囲気の演奏会を行う」ってありますもんね。
うんうん、確かに。
自分が一番楽しんでるかもね。(笑)
「あーもこーも言っちゃったけど、もうやるよー!」みたいなお祭り感があるよね。

ささらさんと田中信昭・中嶋香ご夫妻。’24東混オールスター終演後。

テノールの岡部さんがコンマスを務めていたころは、田中先生とコンマスとの間でよく音楽議論が巻き起こっていたのだそうです。
周囲はそれを見て自分のアプローチを見直したり、影響をもらったりしていたのだとか。
東混という団体で、氏がどう音楽を組み立てていたのかがうかがえるようなお話でした。

2025年8月 ブログ係

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