創作の小径〜作曲家三宅悠太さんと歩く
ソプラノ
松崎ささら
「Vocalise」と「風のうた」について、作曲者、三宅悠太さんにお聞きしました。
やり取りはSNSにて、松崎のあいさつから。
6月30日 夜 松崎
東京混声合唱団の松崎ささらです。合唱団も諸々動き始めました。
三宅さんの2作品の音楽創りとても楽しみです。そのコンサートへのアプローチとして、作品について色々と伺えればと思いご連絡させていただきました。ご検討頂けましたら幸いです。
7月1日 日中 三宅さん
東混に命を吹き込んでいただけること、大変光栄で嬉しいです。YoutubeやTwitterをはじめ、東混のプロモート活動は多彩さに加えて風通しが良く(!)いつも楽しませていただいております。此度の楽曲案内につきましても承知いたしました、お力になれるとよいのですが。
7月1日 お昼前 松崎
ありがとうございます。
ではまず、「風のうた」の出生のヒミツ?をお伺いできればと思います。
7月2日 夕方 三宅さん
■《風のうた》の前に序奏的に《Vocalise》が演奏されます。この作品以外にも共通する私の書法の一つで、本編への空気づくりといいましょうか、まったく初めてこの詩やこの音楽に接する方にも、本編の世界観へ自然に入っていけるようなグラデーションの創出を考え、このような形をとっています。実はこの《Vocalise》の前半部分は、高校生の頃に書いた習作スケッチをそのまま用いています。ここに後半(《風のうた》のモティーフを暗示する役割)を書き足すことで、《Vocalise》が完成しました。
■桐光学園高校合唱部からの委嘱で2018年に作曲。桐光学園とは2016年にNコン課題曲の作曲を担当した際に講習会で知り合い、豊かな響きと歌心に溢れた感動的な歌唱力に惹かれました。その魅力が存分に生きるような作品をとの思いで、書き下ろした作品です。
ヒミツ…と言えるほどの大した内容ではなく恐縮です(苦笑)。
7月2日 宵 松崎
「風のうた」、舞い上がるような音の導きが心地よく、歌心をくすぐります。
さて、その音達と共にある作詩の安水さんとの出会いは、どちらで? 「光る時間」は、三宅さんのどの辺りの時の「まんなか」でしょうか?
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ここまでは、主観的楽曲案内執筆(コンサートマスターによる)のためのメモとしていただきましたが、これよりインタビュー形式で、お時間の許す限りお付き合い頂きたい旨、ご了承をお願いしました。
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7月3日 昼下がり 三宅さん
安水さんとの出会いは、足繁く通っている丸の内の書店で全集を手にしたことがきっかけ。阪神淡路大震災後に作風が大きく変わったことが、全ての詩と向き合いながら心に迫ってきました。
作曲者の詩の解釈を言葉で語ることは控えたい気持ちもあるのですが(笑)、「光る時間のまんなか」という言葉には、今この瞬間にも蠢いている臨場感のようなものを感じながら、音を紡ぎました。
ご感想、励みになります!そしてありがとうございます。
続けてのご質問に、上手く答えられていないかもしれず恐縮ですが…書いてみました。
7月3日 夜 松崎
全ての詩に向き合われた! 音を紡ぐとは、細やかな作業を必要とするのですね。
三宅さんと初めてお会いしたのは、「里の秋」の時だったと思います。
ア・カペラのソロから広がるあの間奏のピアノ。時空超えてますよね!
さてさて。作曲なさる時、どの部分から書かれるのでしょうか?
メロディライン、和声から攻める、伴奏から、サビから、終わりから。
今日はもう一つお聞きしたく。
テンポを思う、ハーモニーを思う、そして指揮者の呼吸を感じるという作業を歌い手はしていると思います。
音の始まりを生み出す時、作り手のアクションはありますか?
7月6日 深更 三宅さん
夜分に恐れ入ります。「里の秋」でご一緒した時のこと、懐かしく思い出しました…その節は大変お世話になりました。
「曲のどの部分から書き始めるのか」についてですが、これは「細部から全体へ…」の時もあれば「全体のラフスケッチから細部へ…」の時もあります。音楽的な要素面では、旋律と和声が同時発想であることが多いですが、その場合は既に自分が知っている響きへ固まってしまう可能性もあるため、旋律の希求を優先して書き、そこからピアノを使って自分なりの新しい響き(かつ音楽的な流れが自然で必然性のあるもの)を探していく…という旅のような作業に入ることもあります。この「自然さ」を基に音楽を構築し洗練させていった時、自然なテンポ感がその音楽の中に既に内包されていて、意識的にこれをコントロールしようとすることは稀かもしれません。ただし、曲集や組曲(器楽曲を含む)を書く際には、作品全体の中で多彩な楽想が必要になるため、おおよそのテンポを予め設計しておくということはありますね。
何にせよ、「音の始まり」を紡ぐまでが最も時間とインスピレーションを要する作業かもしれません。ダムから流れ出す川の如く、ある一線を超えるまでは流れ出さないというか…(この作品を通して自分が何をしたいのか、そもそも詩だけで存在しているものにどうして音を書こうとするのか、どんな楽想を書くのか、クライマックスはどんな雰囲気なのか…ほか、音の始まりを書くというのは、全体の白地図を考えるような作業とも言えるからです)。
あらゆる能力と、最善綿密な計画性をもって、主題的にも構成的にもその美しさを用意した後に、はじめて制作にとりかかるべきである。
石桁真礼生『楽式論』あとがき 音楽之友社
しかも、ひとたび制作にかかったうえは、初めの計画と異なった、まだ計量していなかった世界に、初めの計画をすて去っても、どうしてもずり落ちてゆかねばならない時がある。その時、その未知の世界に対して、すでに計量された世界に対すると同じように、確固とした自信をもって作出できなければならない。
この自信は、制作開始前の計画が最善綿密であればあるほど、じっくりと、泉のように湧き出て来るものである。
石桁先生の名著「楽式論」最後のページに書かれている言葉を、いつもいつも襟を正されながら読み返し、実感を改め続けています。
7月6日 朝 松崎
三宅さんの宇宙、ビッグバンから未知の世界へ拡がる作風は、きっとご本人にも計り知れない、泉のように湧き出て来た自信のたまものですね。
素朴な質問にもかかわらず、表現者として示唆に富む丁寧なご返信をいただき、ありがとうございました。
暑い夏はまだまだ続きます。ご自愛くださいませ。またお会いできる日を楽しみにしております。
三宅さんという「音楽」。
生み出される未来の作品もワクワクしますが、今回はその一端となる音を味わいたいと思います。
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