「私の東混放浪記 」Ⅲ

卒団メンバー(OB・OG)

バス

德永祐一

海外の指揮者遍歴

Part I

オーケストラ&合唱作品では世界の名だたる指揮者と共演した。

サバリッシュ、アッバード、デュトワ、メータ、ミョンフン、ゲルギエフ、ヤルヴィetc

阪神大震災前、神戸に1週間程滞在してクイケン&ラ・プティ・バンドと天地創造は綿密なリハーサルを重ねてた。

BCJのソロを務める寺神戸亮さんがコンマスだっかな?

千秋楽にはオルガニスト初め数人が何処で仕入れたか地下足袋を履いて入場。日本を満喫されたようで良かった。

クイケンのインタビュー記事

クイケンのインタビュー記事で東混について少しだけ触れています。

今の世界状況から思い起こすのは読響&ロジェストヴェンスキーとのショスタコーヴィチ交響曲13番「バビ・ヤール」(詳しくはネットで)

この曲は1962年作で私と生まれが同じ。

これほど虐殺の生々しさと重苦しい音楽があるものかと戸惑った記憶。

ゲルギエフとはストラヴィンスキーの「結婚」で共演した。

かたや人間の残虐さを訴え、一方では市井の人々に光を当てた音楽。

時代や情勢によって音楽の捉え方がこれほど変わってしまうものかと考えさせられる。

サバリッシュの第九で大ハプニングがあった。

4楽章の最後、prestissimo

ganzen welt と伸ばすところで2小節早く合図が来た。

オケも合唱も合図に合わせた人と楽譜通り伸ばした人で分かれ、

次のBrüderが2回!

そこから数小節間カオスの後、何処でどう持ち直したかは記憶にない。

ただいつの間にか渾然一体となり、凄まじいエネルギーのまま曲が終わっていた。

終えた時には安堵感に包まれたが、それまでは奏者同士の興奮と集中力がビンビン伝わって感電しそうだった。

ファビオ・ルイージは今年からN響首席指揮者に就く。

10年近く前に彼がN響定期でオルフのカトゥーリ・カルミナを取り上げセンセーションを巻き起こした。

東混ではこれまでに小澤征爾、岩城宏之(以下岩城さん)の指揮(いずれも定期演奏会)で取り上げていた。

ピアノ4台と打楽器群(奏者10人!)、Sop.Ten.solo、混声合唱という編成。

岩城さんのときは岡田知之(N響のベテラン打楽器奏者)打楽器合奏団が受け持った。 

その一員として1番下っ端で参加していたのが現N響首席の植松さんだった。

私もまだ二十歳代。

お互い若かった。

20年以上の時を経て再び植松さんとこの曲を共演出来たことは感慨深かった。

一方カルミナ・ブラーナの第1部終曲10番
Were diu werlt alle minの最後にfffで掛け声がある。

そこを何度も何度も shout ! SHOUT !! MORE !!! とファビオに要求される。

何度もしつこく言われこっちもリミッターを外しヤケクソになって吠える。

そこで彼は小首を傾げ、手のひらを開き”so-so” とジェスチャー

こんニャロメ!憎たらしぃー、ぎゃーっと言い返したいくらいだったが、彼のそういうところに魅力を感じた。それからすっかり惚れ込んでしまった。

この数年後団内オーディション(技能給を査定するために毎年指揮者に採点される1年で1番憂鬱な日)で、

なんだかやるせない気持ちがムラムラと込み上げ、カルミナ•ブラーナの第2部[居酒屋にて]の冒頭に出てくるBar.solo Estuans interius(怒りに心収まらず)をうたった。

手前味噌になるがそこそこ評価をしてもらった。

多分あれがオーディションのピークだっかも(笑)

ここでもう一つ思い出した。

岩城さんは常々”東混はソリストの集まり”と触れ回っていた。

その頃のオーディションは基本的に常任指揮者を筆頭に審査していたが、

俺の目と耳で確かめる(たまたまスケジュールが空いていたので)と違いがわかる男が吠えた。

審査に立ち会った後、岩城さんが指揮する演奏会にソロのコーナーが出来てしまった。

混声合唱の演奏会にソリストが数人出て来て歌曲やアリアをうたう。

「君オーディションのあの曲うたって」と指名を受た。

大変名誉な事とは頭で理解しつつ、元祖無茶ぶり爆弾の直撃を受けた。

Part II

Wolfdieter Maurer

海外から東混定期にお招きしたのは七人の指揮者。

延べ21回

その中でもマウラーさんはダントツの10回登場。

オケゲム、ジョスカン・デ・プレからシュッツ、バッハ、シューベルト、シューマン、ブラームス、ヴォルフ等を経て近現代(ヒンデミット、ウェーベルン、レーガー、フンメル、ヘンツェetc)まで振り返れば音楽史の流れを辿ることが出来る。

殆どの回でバッハ(モテットやコラール)をうたった。

マウラーさんのバッハは鳴り響く

団員のアビリティーを引き出し最小公倍数を求めるようなイメージ。

子沢山だったバッハのエネルギーそのもののように感じた。

バルトークやコダーイ、リゲティ等の作品も多く取り上げた。

マウラーさんの奥さん(ハンガリー出身)が歌詞をテープに吹き込んだものを聞かせてくれた。

話し言葉とは違う膨大な歌詞を幾度か言い間違えてため息ついたりイライラしながら吹き込んでくれた様子が生々しかったがマウラーさんとの仲睦まじさがよく伝わってきた。

マウラーさんは昼食を取らなかった。

午後に眠くなるからと言っていたが、ある時ビールをジョッキで飲んでいたのを見たことがある。

そしてしばしお昼寝。

私ならビールの方が余程眠くなってしまう。

リハーサル終了後は近くの酒屋さんでいつもワインを買って帰ってた。

ご本人も好きなんだろうが、奥さんへのサービスを怠らない為でもあったように思う。あくまで推測。

愛妻家のマウラーさんは常に世の平和について思い巡らしていた。

使徒パウロを引き合いに出し「不安な時代」から、音楽による心のなぐさめへ希望が持てるプログラムを提示した。

今改めてその必要性を強く意識せざるを得ない。

Paul Hillir

マウラーさんより先に登場したのはヒリアーさんだった。

初登場は1991年、翌年と2003年の合計3回指揮した。

最初の2回はまだヒリアード・アンサンブルで活躍中だった。

私はCDもたくさん聴いていたし来日の際はほとんど聴きに行っていた。

その彼がリハーサルに現れた時は目がハートになっていたに違いない。

初回プログラムがまた魅力的だった。

ルネサンスからデュファイ、ジョスカン、イザーク、ムトン、ラッソー

現代のペルトとグレツキを取り上げ、全て聖母マリアのために書かれた宗教作品が並んだ。

リハーサル中に彼が最も口にしていた言葉がある。

「sostenuto」

何度耳にしたことか。

イギリスの教会で聖歌隊が何百年とうたい継いで身に付けたものなのか

技術で補えるものなのか「sostenuto」を聞くたびに思い悩んだ。

リハーサルの最終日も「sostenuto」が連発される。

息の流れ、音の流動性、スピード?、濃淡、、、色々考えながら声にしていだが、うまくいってない模様。

そんな時、彼は「crescendo!」と叫んだ。

私はこりゃマズイと思った。

おそらく彼にしても言いたくはない表現だったに違いない。

再度東混へ来た時彼に聞いてみた。

前回ソステヌートがうまくいかずに遂にクレッシェンドって言っちゃったよね?

その返事は「つい出てしまった」だった。

クレッシェンドやメッサ・ディ・ヴォーチェではないんだと。

2度目のプログラミングも素晴らしく私の嗜好にピッタリハマっていた。

チューダー朝の輝かしい音楽とR.V.Williams(藤岡サッチーさんも大好き)のミサ曲だった。

この時も彼のソステヌートは健在だったが東混も幾分応えられるようになっていた。理由はわからない。

1年ぶりであったとしても続ける大切さを実感した。

John Alldis

オールディスさんもまたイギリスからの指揮者。

2回とも12月開催だったこともあり、楽しい曲が並んでいた記憶。

Groupe Vocal de France の指揮を務めていて、

中でもプーランク「Figure Humaine」

シュトラウス「Der Abend」

ブリテン「A Ceremony of Carols」

マルタンのミサ 等、得意なレパートリーで魅了された。

あまりコミュニケイションとった記憶がないのでこれで終わり。

James Wood

次にご紹介する彼こそ私の1番印象に残っている指揮者ジェームズだ。

マウラーさんはHerr Maurer

ジェームスはJamesと呼んだ。

彼は何とパリでナディア・ブーランジェに作曲を師事している。

打楽器奏者で自ら創立した新ロンドン室内合唱団の指揮をし、IRCAMの委嘱作曲をするというマルチタレント。

タレントというと少し軽い感じがしちゃうので大天才と言おう。

大天才が自作を引っ提げ東混にやって来た。

タイトルは「Incantamenta」

“呪文”と訳されている。

この曲中の超絶激ムズソロを任されてしまった。

ジェームスの興味は”歌われる語り”と”語られる歌”の狭間にあったようだ

(定義されない移り変わる得体のないもの)

それをイントネイション、抑揚やbending(ズリ上げ下げ)の方法を用いてシステマチックにあらゆる音価(即ち音符♪)へ適用する試みだ。

発せられるテキストは意味を持たない造語(composed languages:彼は言葉さえ造ろうとした)で子音+母音のシステムと抑揚やイントネイション

がピッチの変化とアーティキュレイションでリズムに生まれ変わる。

更に、母音(二重母音や開閉口)の色の変化はイントネイションの効果を高める重要な要素になる。

あームズカシイ!

テキストとピッチが完全にリズムに統合されるあたりは大天才パーカッショニストの面目躍如。

ソロはまさに熱狂的にハイなトランス状態で合唱と交わる形だった。

ここで思い浮かぶのがクセナキスのオペラ『オレステイア』に挿入された「カッサンドラ」

松平敬さんがファルセットとバリトンであのパルスとピッチの変化を見事に表現していた。

ジェームスはクセナキスに触発されていたのかもしれない。

さぁ困った。

自分史上最高に練習した。

全体のリハーサル時間を割いてジェームスに稽古をつけてもらった。

うちに帰っても楽譜を眺めるだけでは到底語りうたえない。

本気で憑依するつもりで取り組まなければならなかった。

毎夜遅くまでタオルを口に押し当てたままモゴモゴいいながら騒がしく唱える。

変なお祈りをしていると近隣に思われたくなかった。

本番は無我夢中で終えた。

勢い余って2ページ同時にめくってしまった瞬間があったがある程度口が覚えてて事なきを得た。

その夜は他にルネッサンスの小品とペルトの7つのマニフィカト用アンティフォナ(ジェームスは左右の手で別の拍子を軽々と指揮)やシェーンベルクのFriede auf Erden

ハーヴィーのソロもしたっけ?

普段なら所謂大変な曲が並んでいたがインカンタメンタに比べればへのかっぱ。

何のストレスも感じていなかったと思う。

あの精神状態は説明がつかない。

2回目の登場時にもシェーンベルクやシェルシ、クセナキスと難曲ではあったもののジェームスとまた共演出来る嬉しさの方が優っていた。

彼も前回の印象が強烈に焼き付いたが為にクセナキスを選んだと言っていた。

幸せな時間だった。

残る指揮者は三人

Georg Christoph Biller

今年1月ビラーさんの訃報が届いた。

聖トーマス教会第16代目カントルだった彼が東混の定期に登壇したのはもう20年以上前のこと。

厳格な様式美を持つ人だった。

ドイツ合唱音楽の伝統を熟知した彼自身の作品を日本初演した。

聴衆を巻き込んで空間(教会を想定したような)の響きが一つの共鳴体となるようなアイデアの曲だったと思う。

BachのモテットやBrahmsの他に

Max Reger 、Engelmann やBräutigam など、

20世紀の作品を演奏した。

以前ツイッターに載せた事があるが、彼から子音のスキルアップ方法を教わった。

トマス教会でも行うトレーニング方法だと聞いてとても意外に思った。

ネイティヴなら何の苦労もなくうたえるものと思いこんでいた。

日本語をうたって伝える難しさを思うと腑に落ちる。

とても参考になった。

とにかく真面目な人だった。

ディクションについても実に丁寧に教えてくれた。出会ってからは教わったことをしっかり実践できるように、そして美しい発音をするよう心がけるようになった。

Requiescat in pace

思い切りふざけてるつもりのビラーさん

Denis Dupays

デュペイさんは音楽も装いも粋でお洒落なおじさん。

お会いしていた間は毎日ネクタイを締めていた。

同じネクタイを見なかったと思う。

なかなかの強者で合唱の音色にもモチロンこだわりがある。

流石おフランス仕込みのエスプリ、ひしひしと肌で感じられた。

2回目の来日の際、リハーサルでMagnificatのAgogikを何度もうたって聞かせてくれる。

もう分かったよと言いたくなるくらい何度も何度も(笑)

とうとうマニフィカトおじさんと呼ばれるようになった。

とても人懐こくて親睦バーベキュー(お台場海浜公園)にも来てくれた。

葉巻を燻らせサファリジャケット(もちろん中はネクタイ姿)にショルダーバッグを斜め掛けする姿がとても可愛いマニフィカトおじさんだった。

Jon Washburn

最後はワッシュバーンさん

ヴァンクーヴァー室内合唱団の絶対的存在

カナダの田中信昭

東混と引けを取らない数の委嘱作品を初演している。

作編曲も数多く手掛け、かつ楽しい曲が沢山あるので皆さんも是非楽譜を探してうたってみてください。

作品に触れると合唱への愛情がとても伝わってくること間違いなし。

彼との交流で東混のレパートリーは大きく花開くことになった。

古くから松原千振さんやマリー・シェーファーとの強固な信頼関係を築いていた。

彼らとの連携に東混も加わることで新たなステージへ押し上げてくれたと思う。

お寿司が大好きでお昼に松原千振さんと3人でよく食べに行った。

シャリが崩れるまでお醤油を浸して食べるのを見てとても驚いた。しかも醤油皿のシャリ粒を美味しそうにかき集めて食べるので見ているこっちはだんだん心配になってくる。

(ここはさだまさし「案山子」風に読んで)今でもお元気だろうか?血圧上がってないかい?

随分お会いできていないので体のことが心配だ。

それに加え、大切な仲間だったM・シェーファーさんが去年の夏お亡くなりになった。きっと寂しい思いをしているに違いない。

大好きなお寿司をたらふく食べさせてあげたい。

以上、七人の指揮者たち

いかがでしたか?

彼ら以外にもシンガポール、韓国、オーストラリア他から来た指揮者もいたっけ?

一人ひとりのエピソードはまだまだ語りきれないほどありますが既にボリュームたっぷり。

この辺りで終わります。

さて、次回東混に登場する海外からの指揮者は一体どんな方でしょう。

想像するだけでまた何やら起こりそうな予感。

ワクワク(笑)


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