僕が僕を見ている
ソプラノ
作詞の川村元気さん談。詩を書くと決まった時、日本語の詩を沢山読んだという。リサーチの中から見つけたのは、谷川俊太郎さんの「生きる」。我々も三善晃さんの作品で歌ったことがある、馴染み深い詩だ。
谷川さんが生きることを書いた。ならば、僕は死を書こうとなったらしい。
さて今回は、2019年のコンサートで、マエストロ山田和樹さんと作った音楽と自身の思ったことを書き留めておこう。
とにかく、最初の音を出すには勇気がいる。それより前に振り出す指揮者はどんな事を思っているのだろう。
曲の始まりは、「死んでいる僕を見つめる」という内容。その不思議な浮遊感漂う場面は、まずハミングで女声が下降型で進む。そして男声(特にバス)がそれを受け止めてくれる。会話の様なやりとりできた時は、心の中でガッツポーズ。
ア・カペラから、音程バッチリなピアノへ受け渡すまでの緊張感。歌手の結束を試されるゲームのようでワクワクする。このパターン、歌い継ぎたい日本の歌(全音楽譜出版社)より篠田昌伸編曲の「夏は来ぬ」や、日本叙情歌曲集の林光編曲「早春賦」でも味わえるので是非。
譜面のAは、4声の言葉のリズムが揃う。日本語の持つ子音や母音の色、タイミングを確かめる。そして、全体の中で自分の奏でるべき音を探る作業が好きだ。
Cのラップの前。
マエストロは、21小節のrit.後、accelerando を追加。次のa tempoに戻すためのテクニック。それは、più mossoへの勢いを増すスパイスに思える。
ラップは山田マエストロにお任せ😎(今年のキハラさんversionは果たして⁈)
物語には、起承転結や緩急が重要だ。
愉快なお話の後にシリアスシーン。爆笑の後に、突きつけられる言葉。前後とのギャップに感情を揺さぶられるのは定説である。
この曲の要はDかもしれないかと密かに思う。
山田さんはalla breveで、との指示。ピアノは細やかな配列でなかなか進めない状態だ。しかし、旋律は前に押し出されていく。新しい物語が動き出したかのように。
52小節のハミングは、ハムレットの生きるべきか死ぬべきかと問う様にとマエストロ。その問いと共に、Interludeのトンネルを抜けていく。
72小節の4拍裏に見逃せないcrescendo。歌う前からのアクションを息混じりとして表現した。
舞台は、日常の一部を切り取ったもの。日常はドラマの連続。
私は今、喫茶店で一杯の紅茶を飲んでいる。店員からは、長く居座る客だと思われているだろう。
しかし本人は文章を捻りだす苦しみ、座り続けて腰が痛たいよう涙、紅茶の茶葉が出過ぎて苦いぜ、窓から見える日差しが大分傾いてきたなぁ、などなど。頭と心は、創造とモヤモヤが止まらないのだ。
舞台へ向かう日常は、考えることと歌うカラダへの問い。
さあ、どんな歌を歌おう?
さあ、なにをしよう?
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