私のアナザースカイ

思い出

アルト

栗原苑子

私は2017年9月〜2019年8月までの2年間シンガポールで暮らしていました。帰国してからよくよくふり返る機会も得ずにいたので雨の日の午後、このブログをしたためようと思います。

私はシンガポール行きが決定してから現地での音楽活動ができる場があるかリサーチを始めました。するとTPCC(The Philharmonic Chamber Choir シンガポール室内合唱団)という合唱団が活動しているのを知りました。じつはこのTPCC、2002年文化庁舞台芸術国際フェスティバルの一環として行われた「アジア・コーラルデイズ」で来日し、東混と共演したことがあるのです。私はご縁を感じ、シンガポールへ引越してからまもなく入団しました。

TPCCは30〜40名で活動しておりメンバーの職業はプロの音楽家、教師、エンジニア、公務員、学者などで、国籍もシンガポール(中華系、マレー系、インド系)、フランス 、フィンランド、ドイツ、フィリピン、オーストラリアなどさまざま。世界の交差点のような国なので出て行く人も多いけれど入ってくる人も多かったです。フランス語の曲を歌うときはフランス語を、ドイツ語の時はドイツ語を母国語とするメンバーがディクション(舞台発音法)などをリードするというスタイルでした。

日本の合唱曲も取り上げてもらいました。

私は人数分の楽譜の手配をし、日本語の歌詞にアルファベットをふり、日本語の発音の仕方、イントネーション、歌の背景や日本の慣習などあらゆることを伝えなければという勝手な使命感だけを背負い、前のめりでいたものの「じゃソノコ、お願いね。」と言われて全員の前に1人立って、拙いという言葉にさえ到達していない英語でナンカカンカしゃべりまくったことだけは覚えています。この時ほどボディランゲージという言葉がしっくりきたことはありません。本当に身体でしゃべっていました。笑 私が伝えたかったことがきちんと届いたかを確かめる術はありませんでしたが、メンバー達が日本の合唱曲に積極的に触れようとしてくれたことは嬉しかったです。

田中信昭先生が東混創設時より「日本人が日本語で歌う合唱曲を作る」という思いを掲げておられました。時を経て、この度日本の合唱曲を日本という枠を越えてあらゆる国の人が歌えるよう、歌詞にアルファベットをふる作業を通じて、田中先生や東混の先輩方の仕事の大きさを実感することができました。

私は定期演奏会にも参加しました。

プログラムはラフマニノフの「晩祷」。2曲目のアルトソロをいただきました。自分の中で課題も多くありましたが、異国の地で歌えたことはとても幸せなことでした。環境は変わっても歌い続けてこれて本当に良かったと思いました。(翌日の地元紙に演奏会の様子が掲載され、自分の名前を見た時はとても充実感がありました!)

私がこのTPCCで、国籍も文化も肌の色も様々で、異なる母国語を話す仲間たちと合唱をする機会にめぐりあえました。これまでは字の如く、合わせて唱えないといけないような感覚が多くありましたが、このTPCCのメンバーと歌えたことで、合わせるということを超えて各々が自主性をもって歌えば訴えかけるパワーは凄いものがあると感じることが出来ました。そして右も左も分からない私にいろいろとよくしてくれた仲間達には本当に感謝しかありません!

またシンガポールへ行きたいな。

ここが私のアナザースカイ、シンガポールです!



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