アルト
小林音葉
じんるいは〜ちいさなきゅうのうえで〜♪
合唱部あるある「歌ったことのある詩が教科書に出てくると嬉しい」
詩をじっくり読むのって楽しいなと思います。
私は生まれてこの方、ほぼずっと合唱が身近にあったので、詩との出会いは合唱曲を通したものでした。
昔は授業で詩を習うと、「この詩には誰がどんな曲を付けているんだろう?」という形で興味を持っていました。
詩人や詩、それだけに向き合うということはあまりせず。
詩を朗読したり解釈したりするのは、歌ありきだったような気がします。
しかし、上田真樹さんを好きになってから(♪)、考え方が変わりました。
言葉や詩はそれ自体がもうすでに音楽かもしれないということです。
単語のイントネーションや言葉のもつイメージ、文の中にある「間」、展開の意外性など。
音楽が言葉であるなら、言葉もまた音楽…?
それから、曲の付いていない詩に向き合う時間もすごく楽しくなりました。短歌や和歌も今までより楽しいかもしれない。
そして最近、その考え方が思いもよらぬ進化をしてしまいました。
「と言うことはつまり、人間は皆、作曲家なのではないか!?」
きっかけは、来月の定期演奏会で歌う『一つのメルヘン』。中原中也ですね。
何気な〜く読んだ、樋口覚の『中原中也 天体の音楽』という本が面白くて!
中也の詩が歌である、という意見に頷くようになりました。
その本の中に、「読者は耳に残ったあのフレーズの音の響きと意味を確認し、尋ねるために何度も耳を澄まし、口ずさむ。」という解説があったのです。(本文より引用)
た、確かに…!とちょっと感動しました。で、そこから頭がトリップ。
詩だけを読む時、声に出す出さない関係なく、色んな読み方がありますよね。
文字の流れる速さや、次の連に行くまでの間、脳内でもう一度意味を確認するところ、強弱をつけたいところ、等々…。
これって作曲だ…!と思ったのです!
詩を読む人全員が作曲家になり得るわけです。
(そこから頭がさらにトラベル。「料理って作る側が作曲家だと思ってたけど、食べる側も作曲家なんだ…!カレーとご飯の配分とか。」という訳わからない気づきを得た話は、絶対に要らないですね。)
自然に歌を歌わせちゃう中也、良いなぁ。
そして、作曲を生業としている方もすごいなぁと改めて思いました。既に歌になっているものを歌にすることになりますし。
さて、演奏会で歌う『一つのメルヘン』は、江村玲子さんが初めて作曲した合唱曲とのこと!(ご本人のブログより)
びっくりです。こんなに良い曲が初めての作品とは…。
この曲があまりに素敵だったので、中也への興味もいっそう深まりました。
あれこれ良さを語りたいところですが、どんな曲かはお楽しみに…!
皆さまも、3月定期の開演前に詩を読んで作曲家になりませんか(?!)。
他にも魅力的な曲ばかりの3月定期。
Nコン課題曲や女声曲、委嘱曲やオルガン伴奏のミサ…色んな方法で合唱を楽しんでいただけるプログラムです!
東混との共演では『たいようオルガン』が記憶に新しい(楽しかったなぁ〜)、指揮者・大井剛史さんと作り上げる合唱の魅力。
ステージ上にも客席にも、たくさんの音楽、想像、祈りが溢れることを願いつつ…。
杉並公会堂でお待ちしております!
(見切り発車で書いたブログ、目的地に到着した…かしら…。終点、荻窪〜荻窪〜♪)
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