東混は1956年創立。
今年で67年目を迎えます。
団員の移り変わりにも様々な歴史がありますが、
どの団員にも、
「新人のころ」
というものがありました。
果たして、今の団員はどんな新人時代を過ごしたのか?
何が大変だったのか???
ということで、現団員の一部にインタビューを敢行しました!
まずはコンミスの新人時代
Soprano ささらさん
同期はソプラノ3人でした
当時は入団試験が9月と3月の年2回。
アルトで受験したのですが、「ソプラノとしてなら」と言われて入団しました。
旧姓の岡部で受験して、入団する頃には今の松崎になっていました。同期はソプラノ3人。太田真紀さん、今は海外在住の江藤育美さんと一緒でした。
今や現代音楽のプロとして活躍する太田さんには、自分も大きな影響を受けました。
最初の本番は、テノール千葉さんの地元、登米での公演。
指揮は田中先生でした。いきなり柴田南雄の『追分節考』を暗譜で歌うことになり、
手に汗を握りながら演奏しました。
当時はみんなそんな感じだったかも知れないですね。田中先生の「私を見ないで!」の洗礼もバッチリ受けましたね笑
…なんと最初はアルトで受験!
キャリアの中で適正に気づくこと、意外とありますよね。
「私じゃなくお客さんを見て」は、田中先生にまず言われる言葉のひとつです。
さてさて、団員の新人時代を進めていきましょう。
お次はオーディションや、入団当時の思い出です。
入団当時の思い出…オーディション、デビュー、あのころ
Soprano ゆいさん
オーディションのとき…
オーディションのとき、事務局の村上さん(現参与)にやたらと心配されたのを覚えています。
「この子は大丈夫かな?」みたいな感じで…
緊張しているように見えたのかな?新曲視唱課題のとき、
歌い終わって置いてある楽譜を間違えて持ち帰ろうとしちゃって、
慌てて譜面台までお返しした思い出があります笑
受験するみなさん、楽譜の取り扱いにはご注意を!
でも緊張するので、たぶん誰でもやらかします笑
Soprano まやさん
デビュー公演で…
同期入団した人がかなりの年上でびっくり!
実は過去にも在団していらっしゃったOBの方だったのですが。
新人二人の歳の差がすごかったです。デビューは岡山?の学校公演。
プログラム通りに楽譜を並べていざ舞台に立ったら、
プログラム記載のない校歌が一曲目ということをすっかり忘れていて、
前奏がスタートした瞬間ドキッ!!と楽譜を探した思い出があります。
東混、定年までは何歳でも入団できます!
…プログラムの把握ミス、誰でも多少は覚えがあるものですが、
デビューでそれを体験するのはかなりの恐怖ですね😱
Alto 美土里さん
入団早々、大量の楽譜が。
入団早々家に届いた大量の楽譜。
さらに、
初めての定期に向けて送られてきたマリー・シェーファーの『自然の声 Vox Naturae』を見て、
なんじゃこの曲は!?と驚いた思い出があります。
『となりのトトロ』を暗譜するのにも当時苦労したけど、
今ではスラスラ歌っているのがなんだか不思議です。
以前は「東混セット」と言って、よく使う楽譜のセットを最初にドサっと受け取っていたそうです。
今はその都度演奏するだけの楽譜を受け取りますが、1〜2年も経てばメインのレパートリーだけでも相当な量になります。
暗譜に苦労するタイミングもありますが、
新人時代に覚えた曲はなかなか忘れません。
Tenor おさむさん
私が入団した時…
私が入団した時の団員数は48人でした。
当時の定期会場はお茶の水にあったカザルスホール、もっと前は東京文化会館小ホールでした。毎年5月頃にある長野の鑑賞協会などは、
二班に分かれて、半分の期間で行っていました。
私も班を間違えた事があります。
多い…!
当時は室内楽のホールに、約50人がギチギチに並んでいたそうです。
団員で別働隊が作れるのも羨ましい。
今では正団員およそ25名に加え、
レジデントメンバーが各パート数名づつ在籍しています。
「レジデントメンバー」は、’18年から始まった新制度です。
さまざまな場所で演奏する東混が、
団員だけでは人数をまかなえない場合に、
曲目や演奏の規模などに応じて重点的に依頼を受けます。
東混サウンドを支えてくれる大切なメンバーです。
他の現場でもバンバン活躍している人や、
合唱以外にそれぞれの専門分野がある人なども在籍しています。
次は、そんなレジデントやエキストラ時代がある人の思い出です!
入団前からの思い出…レジデントやアカデミー、エキストラ時代
Tenor たいちょ
レジデントに声をかけていただいて…
レジデント制が始まったころに声をかけていただきました。
最初のころに平野一郎さんの『胡弦乱聲』という各パート2名づつの曲をやらせていただいて、
こんなにブっ飛んだ音楽をやれる団体があるのか!!と感動して、入団の意思を持ちました。翌年に入団。
ジャンルも難易度もさまざまですが、
刺激的な演奏に多く触れる生活が、とにかく楽しいです。
東混は「現代音楽のプロ」という側面もあり、
「なんでも楽しくやる合唱団」という側面もあります。
レジデントやエキストラは、その幅広さを実感できる貴重な現場かも知れません。
Tenor ひろ
一年目はとにかく…
1年目はレジデントメンバーとして、
とにかく暗譜するのに一生懸命だったのと、
色々な所に旅に行けて楽しかった!
という印象があります。’19年の3月にはフランスツアーにも同行しました!
モナコと南仏を約2週間巡る旅。
朝ごはんが毎回クロワッサンだったおかげなのか、
2週間で6キロ増えました😅
東混、とにかく旅が多いです!数年もいればみんな旅マスターに。
旅公演は中〜大編成が多く、レジデントメンバーが一緒になることも多いです。
’24年秋には、コロナ禍以来の海外ツアーatフランス&モナコを予定しています🙌!
Soprano あすかさん
一年間アカデミーに所属してからの入団でした。
一年間アカデミーに所属してからの入団でした。
初めて『八月のまつり』を聴いた時には、
GPでやっぱり上手だなぁと思ったものが、本番で爆発的に深い音楽になって驚きました。今となっては自分も、本番の舞台とお客さんを前にして気持ちが変化するのを実感できます。
また、入団よりも前の話ですが…
武蔵野音大四年生の時に、柴田南雄さんの『ゆく河の流れは絶えずして』を山田和樹指揮、東混と大学生の合同で歌いました。学生は1年間練習してようやく歌うような曲を、
東混のリハーサルはおそらく数日ですが、団員さんは普通に歌っている。
東混だけが歌う部分は凄まじく難しかったり、
さらには急遽決まった団員数名へのむちゃ振りにサラリと対応したり、
この団体はなんなんだ!?と驚いたのが懐かしいです。
「アカデミー」というのは前に東混が行っていた制度で、
合唱歌手として東混の指揮者のもとで勉強したい人を募集し、
一年間のレッスンを受けることができました。
今の団員には、このアカデミー出身者が二人います。
もう一人の出身者がこの人。
Alto おとはさん
出会いが思い出
憧れの作曲家や指揮者の方々、そして団員の皆さんとの出会いは全て印象的です。中でも…。
上田真樹さんとの一枚!
若手で一番の合唱好き、おとはさんならではの思い出ですね。
若手から超大御所まで、
国内外の指揮者や作曲家と共演できるのも東混の強みです。
…さらに、アカデミーやレジデントができる前のお話もいただきました。
Tenor 志村さん(アニキ)
入団したのは2004年ですが…
入団したのは2004年ですが、
東混にはずっと昔、大学2年の頃からお世話になっています。初参加はエキストラで入った黛敏郎の『涅槃交響曲』です。
当時はまだ信濃町に事務所があったころで、
(キャラの濃い先輩がいっぱいいるな…)というのが第一印象でした。
97年、ヨーロッパの演奏旅行に着いて行ったころからガッツリ関わるようになりました。
スウェーデンやベルギーを旅し、すごく楽しかったのですが、
柴田南雄の『追分節考』を全体練習なし・暗譜で臨むことになり、肝を冷やしたのを覚えています。
当時の先輩たちが練習に付き合ってくれて、なんとか乗り切りました。
若いころでもう一つ印象的だったのが、とあるテレビ収録の出来事。
当日に九曲渡されて、なんとその場で暗譜との宣告が!
当時のおじさん団員たちのために、自分の背中にこっそりカンペを貼られました。
流石にこれだけの無茶振りは今はやらないですかね笑
先輩方の思い出話を聞いていると、
今は多少マシだな、と身震いすることもあります。
それでも時々対応力を求められたりしますが…
さてさて、次は団員たちの裏の顔です。
団員たちの素顔…だいぶ味のあるひとたち
Tenor こぬしゅんさん
うっかりさん、わりと多いです
うっかりしてる人が意外と多くて安心しました!
演奏能力に全振りで、小さい忘れ物の目立つ団員さんがちょこちょこいます笑団員同士の(時に異常な)イタズラも楽しいですね。
いつの間にかカバンの中に富山ブラックのカップ麺が入っていたり、
舞台袖でスリッパのままの団員を、
いつ気づくかギリギリまで眺めてみたり。舞台裏にまつわる先輩方のエピソードもごまんとあるみたいです笑
こう言っているこぬしゅんさんも、なかなかのうっかりさんです笑
度が過ぎたイタズラは御法度、楽しい範囲でいきましょう。
お次は東混のうっかりレジェンドです。
Bass 宮田さん
入団3年目に…
入団3年目のとある演奏会で、
衣装が通例だった燕尾服からタキシードに変わっていたことに気づかず、
一人だけ燕尾服で歌っちゃったことがあります。
本番前に指摘してもらいましたが、どうにもならず。Bassの先輩Tさんが舞台裏で動画を回していたらしく、
当時の映像が残っているらしいのですが…見たくはないですね笑
タキの中に燕尾、
写真で拝見しましたがなるほど傑物感がすごいです。
でもまだ序の口。
宮田さんのうっかり話は2ケタでは収まらない?
まだまだたくさんありますが、ここでは割愛します。
さて、最後はとにかく多い旅についてのエピソードです。
旅先であれこれ…日本や海外、とにかく旅だらけ
Bass ひげくまたいちょう
2年目の海外ツアーで…
昔すぎてあまり覚えてない(汗)
ただただ先輩達について行くのに必死で無我夢中の毎日。
入団1ヶ月で3kg痩せて、インフルエンザにまで罹ったのだけは覚えています。
むしろ、2年目の春に海外公演に行かせてもらえた事の方が鮮明に覚えてますね。
男声8名でオーストリア。ちょうど同時期に国内ではアカペラ版『となりのトトロ』を初披露していて、
きっとみんな既に暗譜しているだろうから…と、
我々も楽譜をウィーンまで持って行って必死に暗譜していました(笑)
海外公演はとにかく刺激的ですが、
そんな旅先でも新曲の楽譜を忍ばせてうんうん唸ったりします。
余談ですが、若林千春さんによる「となりのトトロ」はジェットコースターのようなアレンジが楽しい名編曲で、
今の東混も年に何十回も歌っています。
Alto かをりさん
初めて飛行機に乗って…
入団数ヵ月後、 離島の仕事で人生初の飛行機に乗った時の事。
空港で待つうちにお腹が空きましたが、お弁当は飛行機に乗ってから、と初めてのMy機内食を楽しみにしていました。
プロペラ機のYS-11は、離陸して暫くは少し揺れ、安定飛行に移った所でお弁当を食べることに。
すると飛行機が苦手な男性団員の先輩が、
「お前何でこんな時に弁当なんか食ってんだよォ~!!」と驚愕していましたが、気にせずそのまま食べ続け、島や海の綺麗さに終始はしゃぎ、空港に到着。
ところが、その晩に高熱を出し、せっかくの宿の夕飯が食べられないほど寝込んでしまいました…
長距離を移動する時の体調の整え方を、身をもって知りました。
初めての旅で張り切る気持ち、
痛いほどわかります…そして現地で体調を崩すのも😭
いつの間にか旅にも慣れていきます。
それでも知らない土地は相変わらず刺激を与えてくれます。
Soprano やわらさん
成り行きで2ヶ月の旅館暮らしに…
新人研修を終えてすぐのころ、
地方で月〜金曜・1日3本の学校公演の仕事がありました。
市内の小・中学校の体育館で、1時間のコンサートを3本。
朝9時から歌うので、1週間宿に泊まります。
普段はビジネスホテルですが、その時はどうしてもホテルが用意できなかったらしく、
温泉&食事付きの旅館を手配いただき、4人1部屋で泊まっていました。
街へ出かけようにも距離があるので、
自然豊かな景色のなか、同期達と松ぼっくりを蹴り蹴りしながら散歩しました。
毎日かけ流しの温泉に入り、仲間たちとケラケラ笑い、
22時には消灯・就寝の生活。
合間に地方公演もはさみながら、合計2ヶ月弱。
声には大変な負担でしたが、楽しかったのを覚えています。しかし、この仕事で最も大変だったのは食事。
毎日毎晩、小型固形燃料(カエンと言うらしい)でお鍋が出てくる。
他にも品数豊富なおかずと、食べ放題のおひつご飯。
時間指定なので団員みんなでご飯。
昼は昼で、しっかりしたお弁当が用意されました。美味しいのです。
楽しく食べて、さらに食が進みました。長旅を終えて都内へ戻る折に、体重計の数字を見るのが恐怖でした。
どの団員も、元の体型に戻すのは苦労したとかしないとか、戻らなかったとか。
旅先で自炊ができなくて、
つい食べ過ぎて…というのは東混最大のあるある。
国内のスーパーにやけに詳しくなったり、
地方のご飯情報もだいぶ覚えます。
一年目の体重変化には要注意。
以上、
団員たちにインタビューしてみた「新人時代の話」でした。
オーディションのお知らせ
と、いうことで…
現役の団員やOBを含め、
誰もが新人時代を体験し、
たくさんの人が、東混と関わってきました。
その新たなメンバーとして、
一緒に演奏してくださる方を探すために、
5月13日に新入団員のオーディションを開催いたします!
応募締め切りは4/28(必着)となっております。
今回はアルトとバスのメンバー募集となっていますが、
合唱を生業としたい方、
東混の仕事にちょっとでも関わってみたいと思っている方、
アンサンブルや表現に自信がある方、
バッハから現代音楽・ポピュラーまで
「合唱プレイヤーとしてこれをやりたい!」という思いがある方などなど、
是非ご応募ください。
団員たちも新しい出会いを楽しみにしております!
文責:ブログ係 平野
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